地球・体・心をすこやかに!


隆一郎と優子の写真です。


        
池内優子の手記




  トップページへ戻る

  良書、健康本の紹介

  池内鍼療院案内

  健康を守る歌

  笑いと健康談話室

  憲法9条をまもる

  お勧め商品と講演会

  エスペラントの歌のページ

  歌声喫茶へようこそ!

  落語の世界へようこそ!

  お勧めリンク集

  メールはここから!




         池内優子の手記



  ☆☆以下の手記は、ある総合サプリメントの機関紙「お元気ですか?」の
 2009年4月号に掲載されたものです。タイトルは、「健康確保への道、
 総合サプリメントを助っ人に、........管理栄養士と鍼灸師の、熟年自然食
 コンビ ... 自給自足の生活を目指す」となっています。それをネット で
 読みやすいように書き改めて、ここに掲載します。☆☆



    父はエンジニア・母は調理師
      両親の遺伝子を引き継ぎ、私は栄養士



私が生まれたのは1946(昭和21)年の春でした。戦後復員し、婚姻、出産
で、日本に膨大な人口をもたらした「団塊の世代(1947〜49年生まれ)」
の1年先輩になります。プレ団塊世代とはいえ、競争社会、高度経済成長社会の
まっただ中で育ちました。

 思春期にはすでに受験戦争という言葉も生まれ、エンジニアの父の血を引いて
理数系が得意だった私は、理科か数学の先生の道も考えましたが、今とは違い当
時は大の内弁慶(笑)。

 高校では、男子が圧倒的に多い「理数コース」に入るのは気が重く、「文科
コース」は嫌で、「食物コース」を選択しました。

 母は学校給食の調理師。その血も引いている私は、子供の頃から食べるのと作
るのは大好き。中学のお弁当は自分で率先して作っていました。

 そんな私は、食物コースで食物学や栄養学の片鱗を学び、その面白さを知り、
理数系の要素も強い栄養士を目指すようになり、高卒後は専門学校で2年間学び、
栄養士の資格を取りました。

 1966(昭和41)年、150床という、仕事的には最も腕を振える規模の、また
良いスタッフにも恵まれた、理想的な病院に就職。そこで4年間勤めました。




私が書いた絵はがきです。



  私(優子)が書いた絵はがきです。  











    現代医学で治らない病気の多さに疑問、玄米菜食の道へ

 当時、病院栄養士は栄養士の花形でした。仕事は忙しいながらも楽しく、
精出して働いていましたが、病院のデータを目にするうちに、長期入院患者、
入退院を繰り返す患者さんの多いことに驚き、心を痛めるようになりました。

 患者さんの多くは腎臓や肝臓、胃腸病などの慢性病です。そもそも慢性病と
いう名前自体が、現代医療の限界を物語り、治らないから慢性化するわけですね。

 いつしか私は現代医療に疑問を抱くようになり、そんな折り、玄米菜食(食養)
で病気を治す医師の書物で、

1. 食物が血をつくる
2. 肉食は血液を汚す
3. 血液の汚れが、がんをはじめ多くの病気を生む

という理論に接し、感動しました。

 私は子供の頃から、アイスクリーム、お菓子、チョコレートなど甘いものが
好きで、蚊に刺されたりちょっとしたケガですぐに化膿し、風邪から中耳炎に
移行しやすく、生理痛もひどく、そんな体質も「食生活が原因だった」と本を
読んで初めて思い当たりました。

 早速ドクターのすすめる玄米菜食を始め、同時に、ドクターに手紙を書いて、
これまでの経緯と食養士になりたい旨を相談したところ、大阪にある食養研究
団体で勉強するようにすすめられました。

 それで、4年間勤めた病院を退職。1970(昭和45)年、24歳の春に、
桜沢式食養研究団体に入り、そこで1年間、食養療法、食養料理、食物の摂り方
などを学びました。生活費は、病院で貯めたサラリーを切り崩しました。

 そこでは玄米菜食の摂り方を指導するだけで、がんやリウマチ、その他の難病
が治っていくのを目の当たりにし、目から鱗が落ちた思いをし、今まで私が指導
してきた現代栄養学は根本が間違っているのではないかと思うようになりました。

 私自身、慢性中耳炎が完治し、子宮後屈も正常になり、全くの健康体になり
ました。生理痛は子宮後屈も原因だったようです。


    鍼灸師の夫が書いた「食養と自然医学」に感動、結婚へ

    ... 初めての出会いは高校生 ...


 私はなぜか、中学生の時から視覚障害の方と縁があり、中学2年の時は同級生
の発案で近くの盲学校で朗読ボランティアをしていました。

 高校では、卓球クラブと点字クラブに入り、それとは別に、夜は社会人の点訳
奉仕グループにも入って、そこでは視覚障害者の方達とキャンプをしたり、何か
と交流がありました。その仲間にリーダーシップを取ってやけに目立つ鍼灸師の
青年がおり、その彼と後年、結婚することになるとは! 当時はお互い、思いも
寄らないことでした。

 夫は先天性白内障で生まれ、子供の頃から胃腸が弱く、風邪を引きやすく、
虫歯が多く、医者通いはしょっちゅう。鍼灸師になってからは病院勤務の傍ら
自宅で鍼灸院の開業と、無理な仕事と生活で精神的悩みも重なり、かすみ目・
耳鳴り・頭痛・めまい・動悸・胃痛・脱力感など惨憺たる状態に。

 そこで、どうしたら健康になれるかをいろいろ勉強し、出合ったのが玄米菜食
でした。時期は奇しくも私が栄養士になり、病院に就職した1966(昭和41)
年。彼が25歳の時でした。

 玄米菜食以前の彼の食生活は、野菜嫌いで肉や甘いものが好き。コーヒー、
タバコ、酒も大いに楽しんだそうです。そんな食生活をすっかり改め、玄米菜食
で健康を取り戻した夫は「食養と自然医学〜健康と幸福へのパスポート〜」と
いうテーマで、健康記事を点字雑誌に連載。その後、一般の人にも広く読んで
もらいたいと、記事を本にまとめて自費出版。それが1970(昭和45)年の
ことです。これまた奇しくも私が病院を辞めて、食養の研究団体に入った年でした。

 本の自費出版に当たっては、何かの折りに私が彼に「玄米菜食の勉強を始めた」
と話したところ、点字雑誌の彼の健康記事を読むようにすすめられ、読んで感動
した私は積極的に翻訳(点字を普通字に)を手伝い、野菜料理の項も担当するなど、
彼との交流は一気に深まっていきました。

 1年後には結婚。この結婚には2歳年下の妹の応援が頼もしく、視覚障害者の
彼との結婚を心配する私の両親に「素敵な好青年。人柄も頭もいい。一度会う
価値有り」と説得してくれ、両親も彼に会った途端、その人柄に惹かれ、周囲
に祝福された結婚でした。



  ☆☆夫は語学や落語が大好きで、目が不自由でなかったら言語学者か
 落語家になっていたことでしょう。高校生の頃には、ラジオ講座で英語、
 フランス語、韓国語など8ヶ国語を学び、発音だけは完璧に習得するほどの
 努力家。ハンディがあってもいつも明るく、このホームページも視覚障害者用
 の音声ソフトを駆使して、独力で開設しました。
 メールマガジン、あまのじゃく鍼灸師の笑いと健康談義.も週1回の発行を
 続けています。☆☆




    ☆☆ 夫が日朝辞典を点訳したときの新聞記事 ☆☆ 



日朝辞典の新聞記事です。



         7人家族の食生活

    ... 玄米菜食から主食は5分搗米、副食は.1・1・3.の食事に ...


 結婚後は、尼崎に住む夫の両親と同居。私は義母が経営していた自然食品店に
携わり、彼と協力して食養料理教室や健康講座などを催していましたが、妊娠を
機に活動は1年ほどでやめました。

 子供は1973(昭和48)年に長男、翌年に長女、そして、1976(昭和51)年に
次女と次々に授かり、玄米菜食で超安産。子供達もすくすく育ちました。

 子供達には手作りのもの、自然食品店のものを与え、極力甘いものは避け、
3人とも幼稚園児の頃「虫歯0」で表彰されました。

 しかし、子供達は給食で牛乳や肉などが結構入るようになると玄米食を嫌がる
ようになり、大人も食後の満足感が得られなくなってきて、長男が中学1年にな
った1985(昭和60)年、主食は5分搗米にして、副食は生の重量で「動物
性蛋白質食品1/植物性蛋白質食品1/野菜・海藻・芋類3」、主食と副食の
割合はほぼ同量、という食生活に変えました。

 この食生活は、食事や断食指導で難病治療をしておられた馬渕通夫(まぶち
みちお)医師が提唱されていたものを、私達夫婦がアレンジしたものです。

 主食を、玄米から分搗米に変えたのは、食味、食感もさりながら、
@子供に玄米を徹底的に咀嚼させるのには無理があり(実際、子供達はビタミン
B群、特にB2不足から口内炎に)、
A米の外皮に多いフィチン酸は農薬や毒素の排出作用がある一方、カルシウム
などミネラル吸収不全をもたらす−−−という理由もありました。

 副食は「まごはやさしいわ」を心がけ、これらの食材が適宜とれているか注意しています。

「ま」は、豆類。(大豆食品の他に、小豆などその他の豆も)
「ご」は、胡麻
「は」は、発酵食品(味噌・醤油・納豆・漬け物など)
「や」は、野菜(旬の野菜・緑黄色野菜・根菜類を基本に)
「さ」は、魚(小型.中型の魚を週4回)
「し」は、椎茸などのきのこ類
「い」は、芋類(じゃが芋・さつま芋・山芋類・蒟蒻も)
「わ」は、わかめなど海藻類。

 動物性食品が少し入ったことで、菜食では不足しがちなビタミンB2やB12
なども補えました。

 この食生活に変えたことで、子供達にとっては食べやすく、魚や肉、果物も
食べられるようになって大喜び、大人も十分な満足感が得られるようになり、
7人家族の全員、健康に過ごすことができました。

 なお、主食は7〜8年前から、5分搗米に発芽玄米を加え、たまに雑穀、
押し麦、黒米なども加えています。

 20年くらい前からは、水に溶けやすい「L型発酵乳酸カルシウム」を炊飯時
に加えています。ご飯がふっくらと美味しく炊けるのと、牛乳は飲まず、総合
サプリメントは1日1食分にしているからです。



  活性酸素対策・病気予防の.総合サプリメント.が健康を後押し



 総合サプリメントは16年前から夫婦で摂っています。それまではビタミンC、
ビタミンE、カルシウムのサプリメントを単品で摂っていました。

 当時私は、メガビタミン療法、活性酸素のことを勉強しており、何か総合的な
微量栄養素補助食品はないかなと思っていた時にすすめられたのです。50種類
ものビタミン、ミネラル、ファイトケミカル、核酸、抗酸化ハーブエキスに加え、
消化酵素まで入っていて、すごいものができたと思いました。

 最初のうちは1食につき1食分摂っていましたが、健康でもあり、1食につき
半食分に減らし、7〜8年前からは昼と夜に分けて1日1食分を基本とし、疲れた
時や風邪の不安がある時などは増量しています。畑仕事などで汗をかくとビタミン・
ミネラルが汗と一緒に体外に排泄されるので、総合サプリメントでしっかり補うと
安心です。

 総合サプリメントは何といってもパワフルで頭も冴え、精力的に仕事・家事・
勉強がこなせることが有り難く、また、目に良いルテイン・アサイベリーエキス・
アスタキサンチンなどをはじめ、数多くの抗酸化物質を含むので、私達のように、
農作業で紫外線をもろに受けたり、パソコンで長時間目を駆使する者にとっては、
なくてはならないサプリメントです。お陰で、夫の緑内障もあまり進まないようです。

 ビタミンB12も豊富に含んでいるので、認知症の予防のためにも、これからも
継続していくつもりです。

 なお、活性酸素対策としては、7年前から飲料水は活性酸素を消去する電解
還元水にしています。


馬の写真です。

  熊野の田舎で馬に  

  乗っています。  










   七転び八起きの楽天家夫婦、自給自足生活、再び 



 夫は若い頃にヘンリー・ソローの『森の生活』を読んで感動し、晴耕雨読の
生活に憧れ、さらに食料自給率の観点から、自給自足の田舎生活を志すように
なりました。

 私も自分が作った無農薬農作物に魅力を感じ、1977(昭和52)年3月、義母と
3人の幼子を連れて尼崎から三重県熊野市の僻地へ引っ越し、5反の山と5反の
段々畑を所有して、ここでは山からの水を生活用水とし、風呂は薪で焚くという
暮らしぶり。土地も肥えて野菜もたくさん採れました。

 しかし、夫が慣れない農作業や馬の世話など過労から、わずかに視力の残って
いた右目が緑内障になり、医者から畑仕事を止められ、1年足らずで元の尼崎に
戻り、夫は鍼灸院を再開しました。

 田舎暮らしの無理もあってか、左眼はほぼ完全失明、右眼は辛うじて0.01
の視力を残す夫ですが、今でもまだ馬に乗ることもできますし、電車で1人の
遠出も不自由はありません。

 尼崎に帰ってから、我々楽天家夫婦はそれぞれ、社交ダンス、絵画、音楽、
落語と趣味に打ち込み、自給自足生活挫折の心の痛手を癒しました。

 37歳の時に私は再び病院栄養士の職に就き、健康食品関連の仕事に就いたり
などしているうちに、1995(平成7)年阪神大震災に遭い、夫婦、長女、次女の4人
で私の実家のある大阪市へ移り住みました。

 大阪では仕事・家事・資格取得のために頑張り、2000(平成12)年、(54歳)
には管理栄養士の資格を取得。他にも、サプリメントアドバイザーなど健康関係の
資格をいろいろ得ました。

 しかし、自給自足生活の志は潰えることなく、さすがに米作りは諦めたものの、
新たにプチ自給自足生活を目指して、2005(平成17)年11月、現在住んで
いる三重県伊賀市に、夫婦2人で移り住みました。




畑の写真です。








  裏の畑を夫と二人で

  耕しています。







 いささか場所選びに失敗。自宅裏の100坪の土地は瓦礫や石が多く、1年目
は除石と鍬入れなど整地に追われ、畑は40坪のみに。
 粘土質で水はけも悪く、2年目は土作りに精を出し、本で勉強したり、色々な
人のアドバイスを受け、キュウリ、ピーマン、プチトマト、ナスなどを初収穫。
秋野菜も小松菜・ホウレン草・チンゲン菜・小カブなどが結構採れ、やわらかい
間引き菜のお浸しの美味しさは格別でした。

 3年目の昨年は、苗植え後の多雨で根腐れや虫にやられ、楽しみにしていた
さつま芋はイノシシに食べられ散々でしたが、初夏にはエンドウが6kgも採れ、
ご近所や知り合いに分けて喜ばれたのには救われました。

 今も荒れ地と格闘しながら、これまでも夫婦二人三脚で「何とかやって」これ、
これからも「何とかなるさ」と腹を括り、仕事の傍ら、夫は月1回「童謡を歌う
会」でアコーディオンやウクレレの伴奏ボランティア。私は、栄養や健康に
関わる講演を引き受けたり、40年前に夫が執筆し、私達の仲人にもなってくれ
た本の増補改訂版作りに忙しくしています。



       ☆☆ 童謡の会の新聞記事 ☆☆    



童謡の会の新聞記事です。


    ☆☆ 最後までお読み頂き、ありがとうございました。 ☆☆    


  トップページへ戻る

  池内鍼療院案内

  健康を守る歌

  笑いと健康談話室

  憲法9条をまもる

  お勧め商品と講演会

  エスペラントの歌のページ

  歌声喫茶へようこそ!

  落語の世界へようこそ!

  お勧めリンク集

  メールはここから!